Little AngelPretty devil 
      〜ルイヒル年の差パラレル 番外編

     “晩夏のしっぽ”
 


ふくふくと柔らかい頬は、和菓子のぎゅうひか水蜜桃か。
いかにも脆そうな小鼻の下には、
野ばらの蕾のように輪郭のツンと立ったそれ、
それは瑞々しい緋色の唇が姿を見せて。
金絲の間からは丁寧な造作の行き届いた耳朶が覗き、
小ぶりな肢体を支えてのあらわになった、
やはり寸の足らない脚や、
小さな膝小僧のなめらかな丸さの まあまあ愛らしいこと。
金色の軽やかな髪は、
遠い大陸の吐藩や天竺のそのまた向こう、
当世での西域の果てに住むという、
毛足の長い金の猫の豪奢な毛並みや、
いやいや、
天女の使役とも言われる獅子のたてがみをも思わせて…。








     



 『これは特別な、光を用いる咒でな。
  相手の眞の名を咒弊へ召喚転写して、
  それでもって封印しちまう術なんだ。』


取って置きの手段だったはずが、
その解法がないほど強力な代物だったことへ、
選りにも選って 大きに焦っているのも彼らの側であり。
その咒弊の半分ほど、何とか今日中に完成させるため、
これでも必死で奔走している彼らだったりし。




     ◇◇◇



  そもそもの始まりは
  裏山の桜の狂い咲きによって知らされた
  小さな異変


家人の中でも一番幼い仔ギツネ坊やが、
日々の遊び場としている裏山から、お昼ご飯にと戻って来たおり。
出仕から戻ったばかりの蛭魔を見かけて、
牛車から降りるのをじりじりとお預けになった分も含め、
それは嬉しそうに元気いっぱい飛びついて。

 「おやかま様、しゃくら、いっぱいぱいなのvv」
 「さくら?」

嬉しくってと ふかふかな尻尾を太く膨らませ、
はしゃいでおりますと、その小さな身でもって体現していた愛らしさへ。
秋の宴だの、収穫にまつわる祭事のあれこれだのの手配の一環、
本来なら関係ないことへまで、
てんやわんやさせられた むっかりを抱えていたはずの神祗官補佐殿、
それがやっとのこと晴れたぞと、
小さくて柔らかな、お日様の匂いのする坊やに、
こちらからもそりゃあ優しい笑顔をこぼしたほどであり。

 ―― 宴にいいお日和は果たしていつか…ってのは まだいいとして、
    暦を記した冊子を捲りゃあいいことまでも、
    いちいちお使い立てて訊きに来んな、ドあほうがっ!

それでなくとも、秋は神祗官も出番の多い国事も少なくないし、
各地からの収穫が次々に都まで運び込まれる時期でもあるし。
あと、これは中央の管轄ではないことながら、
近隣の北領、冬支度が早いめに始まる地域の様子から、
今年の冬はどんな案配かの予測を立てて、
薪や食料の補完計画も立てにゃあならん。
不埒なことをしでかした民への取り締まりだの、
諸外国との駆け引きだのという荒ごとからは、
一線引かれる立場の神祗官という役職。
傍目からは、書物を繰ってりゃいいだけだろにと、
おっとり安穏として見えるらしいけれど。

  実情は結構 大変なんすよ?

まま、それもこれも今更なお話だし、
学問以上の実践のあれこれともなれば、
ツンデレなおやかま様が 勝手にこっそりやってることでもあるので、
あんまり触れずの さておいて。

 “ああん 何だってぇ?”(素直に さておけ)

仔ギツネさんがほんの目と鼻の先から持って帰ったお土産話に、
お十時のおやつと兼帯の、お昼ご飯の場は沸いた。

 「狂い咲きでしょうか?」
 「さてなぁ、このところ色んな桜が増えつつあるしなぁ。」

最初から春と秋に咲くという変わり種もあるそうだし、
そうでない普通の桜でも、
気候があまりに不順で乱脈だと、
冬を越したと勘違いしたのが、
まだ秋だというのに花ほころぶことがあるそうだけれどと。
味噌を塗りつけた表面を炭火で軽く炙った握り飯、
うまうまとご満悦で食べておいでの仔ギツネさんを
ゆったりと広いお膝に乗っけて、
黒の侍従さんが小首を傾げれば、

 「そりゃあ、冬紛いくらいに強く冷え込んだ後、
  ぐんと暖かくなった場合だろうが。」

そちらさんは、
塩が粉を噴くほど辛口の鮭の
身を炙ったのを混ぜて握ったおむすびを頬張りつつ、

 「朝晩という短い間だけは涼しくなったが、
  まだまだ夏の暑さの名残りは去らぬのに。」

そんな内からの狂い咲きとは確かに面妖な話よのと。
仔ギツネ坊やに連れられて、
午後の息抜きを兼ね、
そんな桜を見物にと家人一同で向かってみたところ、


  その桜に憑いていたのが
  こたびの、この思わぬ騒動を
  引き起こしてくれた邪妖だったという訳で。




     ◇◇◇



さして大きな妖力も感じられず、
その場で封印できると見越して手掛けたはずが、
どうにも属性が定めにくい妖異だと判った時にはもう遅く。
精霊刀で斬っても、咒術を浴びせても、そこそこ対峙は適うのだが、
すんでのところで思わぬ抵抗に遭い、
翻弄されての結果、まんまと桜から逃げ出されての追跡が始まったのが三日前。
手掛け始めて二日経つのに、取り逃がしてばかりな彼らであり。


  しかもしかも、
  只者ではなかったことから執った策が
  大きく裏目に出てしまい、
  事態を少々ややこしくしてしまっていたのである。




裏山というのは、
彼らの住まうあばら家屋敷の真裏に位置する、
小高い丘のような敷地と、それを覆う雑木林のことで。
かつては人が入って整備もしたろう、
その名残りから雑木林という言い方をしているものの、
林と森の違いは、自然に繁茂した状態のままのそれか、
人の手になる整備や植林により保たれているものか、だそうだから、
厳密に言うなら、元・林と呼ぶのが正解だろうというほどに、
放ったらかしの荒れ放題。
遠い昔に人が適当にいろいろな樹を植えたものだから、
様々な樹の花や実が四季折々に見られるものの、
つまりは統制がなされておらぬ。
なので、地脈もところどころで瘤のようになって淀んでいたりするし、
たまさか同じ種の樹が固まって群棲しているところに、
精気の強い邪妖や妖異が取り憑くことも少なくはなくて。

  しかもしかも

都という人の集まる土地の間際だけに、
元は人らしき根深い怨嗟の精気も寄り来る場所なのが、
悪い意味での影響を振り撒かぬよう。
かつては 神祗官様も警戒なさっていたらしい、
実は特別な場所であるその場末に。

 ひょこりと現れ、住み着いたのが
 こちらの、
 金髪金眸という文字通り毛色の違った術師の青年であり。

以降、彼が自身の咒力でもって地鎭の役目も負っているため、
そうそう大きな騒動も起きないまま、現在に至っているのだといえて。
いやいや、騒動は起きぬまま…とは表向きの話、
そんな彼の周辺では、
彼の能力を潰したくてか、それとも場所が場所だからか、
もはやどっちが先かも判然としないほど、
妖かしや怪異の跳梁も目覚ましくはあったれど。
場所柄なんて関係ない、
とある絆で培った、そりゃあ図太い礎があるから。
ここへと集う皆様には、多少の切なきことは付いて回っても、
それをやすやすと上回る、
良かったとか、暖かいねとかが訪れるから大丈夫だったのだが。
そんなこんなと語るうちにも、
話題の桜が咲いているという広っぱまでを踏破したご一行。
もはや自宅の庭扱いの、くうちゃんとセナくんが
あ、あれだとこぞって駆け出しかけたものの、

 「……んん?」
 「ちょっと待ちな。」

 「え?」

蛭魔が眉を寄せ、
葉柱が二人を同時に…後ろ襟首を掴む格好で引き留める。
こちらの咒力…の大きさを感知した、ということもあったのだろうが。
狂い咲きの桜とやらがあるという原っぱは、
彼らが踏み込んだその途端に、重々しい瘴気に包まれ始めて。

 「…っ。」
 「これは…。」

蛭魔や蜥蜴の惣領殿のみならず、
仔ギツネさんと手をつないでいた瀬那までもが、
遅ればせながら感づいた不穏な空気。
敵意をはらんでいての、抵抗の気配も満々な代物と悟った蛭魔は、
まず、

 「くう、そこのクヌギの幹から手を離すな。」
 「うや…あいっ。」

そんな指示を出している。
大気の気配の変化は坊やにも感じ取れただろうが、
一緒に戦うんだと意気込まれても困るし、
そうかといって的確即妙に“逃げろ”と言っても聞かぬかも知れぬから。
お主の役目はクヌギの樹の見張りだと聞こえるように、
微妙に鋭く言い置いてから。

  ―― 異界のもの、あるいは異形陰体の存在よ
     その姿、我らの前へ明らかに現せっ

狩衣のたもとで風を切り、
そのまま淀んでいた空気さえもを切り裂く勢いで、
宙空へと素早く印を結んだ、蛭魔の指先が振り下ろされたは、
広場の中央に立っていた古木の桜。
確かに、季節外れの花が五分咲きとなっていたものの、
秋めいた透明感を感じさせ始めていた陽光の中、
それは長閑に佇んでいたはずが、

  ―― その根元から、土くれをもりもりと盛り上げて、
     何物かが勢いよくも這い出して来るではないか。

桜自体は最初からあったそれだろが、
それを勝手に寄り代にして、何かが憑いていたようで。
どちらかといや、獣というより甲殻系の蟲のような外観をしていて、
バッタやカマキリのような数の多い脚には相当にバネもあるらしく。
まずはと威嚇の大鎌を、空に届けとばかりに大きく振り上げ、
ぶんと降ろして来たものの、

 「…遅せぇな。」

切っ先の落下到着点から素早く飛びのいた蛭魔が、
油断なく対峙をしつつも、相手の持つ力量を分析し始める。
鎌を振り上げれば 人より丈もある結構な大型ではあったが、

 「せいっ!」

立ち位置を入れ替わるかのように、
精霊刀を召喚した葉柱が、その切っ先を振り下ろせば。
大柄な躯の割には素早く避けた方ではあるが、
背中に負うた頑丈そうな甲殻の一角を掠められ、
その部分を砕かれてしまってのこと、
きしゃあぁっというザリザリとした咆哮を上げており。

 “咒の匂いはプンプンするんだがな。”

それにしては、自身への強化の痕跡も薄く、
途轍もなく強靭だとか、押さえ込めぬほど大力というわけでもなさそうで。
その身へとまとった精気の濃さや量も、
途轍もない死闘も珍しくはない彼らにとって、
それらへと比すれば、
大した脅威という枠でもないと断じられたものの、

 「葉柱、毒性防御の結界を張れ。
  セナは進を呼び出して、退路を塞げ。」

 「おう。」
 「はいっ!」

ところどころでは梢が重なり合っての天蓋となった木立の方へは、
そのまま里へと逃がしちゃならぬとばかり、
真っ先に陰体耐性の結界を張ったし、くうも立たせた。
一番に守らねばならぬ方角で、
そこに仔ギツネさんを置いたのは
そんな意識から最も護りやすかったからでもあったし、
蛭魔がそちらへと向けてた背後にすうっと感じ取れたのが、

 “やはり来やったか。”

くうは 天狐の首長の御曹司、
葛の葉という皇子でもある、それは尊い身の上…だそうなので。
この不穏な空気の只中におわすその身を案じてだろう、
朽葉という従者が、穹を翔ってのいち早く駆けつけておいで。
人世界の、しかもこのように
微妙に個人関わりの事態への手出しは、
彼らには 原則“禁止”なのでもあろうから。
人外ならではの力もての助力…は、あいにくと期待出来ないが、

 “そこへの異存はないってな。”

小さな葛の葉様の御身だけを護ってくれたらそれでいい。
そんな使命を帯びてお越しの御使者の到着に、
さぁて…と内心で舌なめずりするような乱暴者なんだから、
宮中の女官の皆様を騒がせてやまぬ妖冶美麗な見かけと裏腹、
ほんに困ったお人でもあって。
それをますますと裏付けるよに、

 「俺は気が短いもんでなっ!」

先手必勝とばかり、
ぱんっと小気味のいい音を立てて手を合わせ、
その狭間から まずはと繰り出したのが、
鬱蒼とした木下闇を焦がすよな、一気呵成の炎の攻撃。
無論、きっちりと調整は為されてあって、
今のは怪しき陰体へだけ、灼熱に炙られる影響が出よう、
特殊な念が組み込まれてあった火炎だったのだが、

 「……む。」
 「これは…?」

熱気が向かったはずな桜の樹を取り巻いて、
冷ややかな風が吹きつけ、それと同時に靄が立つ。
冷気か、若しくは霧にて防いだためらしく、

 ―― 火を封じられる? 水精か?

ならば、水の属性にはてきめんの効果があろうものをと、
すかさず繰り出す機転と手際の恐ろしさ。
大きく余った衣がばさばさと、
空を切っての鳴るほどという切れのよさにて、
様々に組み合わせた指の形で印を結んでの、
即興の咒が招いたは、

 「雷霆降鉾、臨っ!」

目映いまでの光と共に、
白い手のひらに何の触媒も持たぬまま、
激しい放電の火花を掴みしめている蛭魔の様は、
もはや神秘の存在でしかないが、

  哈っっ!

胸元に重ねた手のひらから、どんと放った雷霆は
これだけの至近で受ければひとたまりもないはずが、

 「な…っ。」
 「え、これ…って?」

突然の地響きが繰り返され、
風を切って放たれた筈の雷光珠は、途中で何かに阻まれ敢えなく散った。
今のは風の勢いで阻めるものではないぞと、
自身が担う結界への集中を途切らせぬまま、
それでもと蛭魔が立ち向かっている先を葉柱が見やれば、

  きしゃあぁっ!

威嚇するような叫びを上げた異形の邪妖が、
その頭上へ高々と上げていた鎌のような腕の先には、
蛭魔が放ったのと同様の雷光珠が宿っている。

 「そんな馬鹿な……。」

ちゃくらが弱く、殻器は頑丈という、
自然界との対話が難しい身の人の和子らが。
それでも精霊や妖異に相対する手段として、
古文書や先人からの口伝によって学んで身につける咒と違い。
自然界に発生する邪妖が
そう幾つもの属性を、その身へ宿せるはずがない。
五行で説かれる五大の要素は、
互いに埋め合い、若しくは反発し合うことで
世界を活性化し成り立たせている“素”なのであり。
それが一つ身へ集中してしまうなんて、原則的にあり得ない。
属性同士の相容れない部分が衝突し合うという
矛盾反応が起こるのが関の山のはずなのに……。

 “水精なら苦手なはずの、風咒である雷を自ら放つとは。”

自分は一体 何を相手にしているものなやら、
手ごたえありまくりで勝手が違い過ぎるぞと、
だがだが、これでもまだ混乱には至らないままなところが、
さすがは、この若さで今世最強と謳われるだけの術師でもあり。

 「ならば……っ!」

土の咒で地脈を震わせ、大岩にて押し潰すよう封印をと掛かれば、
次は樹精をもってして、
桜の根を大地からもりもりと生やさせて、足場を高みへと支え、
倒れかかって来る 岩、岩、いわ……をことごとく押し倒し跳ね飛ばすから、

 「あああ…。」

土に勝る樹木の属性まで網羅していようとはと。
広場いっぱいの大地も空も、
憑神の進にも手伝わせて強く封じているセナが、
相手の完璧さへ嘆くような声を発した。
大きな鎌もつ怪物ではあるが、そんな姿や凶器は怖くはない。
優しい姿で人を操る妖異の方が、何倍も性分が悪いし難儀だし、
そういう輩を…何となれば咒の力もて、封印したり滅殺したりと、
危害を広げぬ策は必ずあるというのを、ずっと学んでいる自分だのに。

 “五素のどれでも太刀打ち出来ないなんて…。”

こちらの咒をまんま跳ね返すという手合いなら対峙したことがあって、
そういう輩は案外と、打撃攻撃や睨めっこという格好の我慢比べには弱い。
こちらの力を利用しているだけだからで、
だが、この邪妖のはそうではないらしく。
これでは八方塞がりではないかと、
何てことだと師匠に成り代わり、
小さな書生くんが口惜しげに歯咬みしたその時だ。

 「……そう来ると思ったよっ。」

さすがは一味違うといいますか。
諦めない粘りと周到さでも、
当代随一かも知れない最強の陰陽師殿。

 「炎戟招来、臨っ!」

一番最初に繰り出した業火を、もう一度だと召喚しておいで。
樹木には強い炎でかかった彼だったが、
それもまた消されるかも知れぬのは…百も承知という落ち着いた表情であり。
やはり周囲へ撒かれ始めた水の匂いのその中で、
パンッと広げたのは大きめの咒弊。
周囲に満る微妙に消えにくい炎がそれを炙れば、
弊の向こう、霧に守られつつある邪妖の姿が、
影となって映り込み、それがそのまま黒々とした墨の梵字へと塗り変わる。

 「これは特別な、光を用いる咒でな。
  相手の眞の名をあぶり出しで象ると、咒弊へ召喚転写する。」

個を他と分ける自我の根源。
人の和子には意識という形でそれがあるように、
邪妖らにも自我がある高位の存在には、
大地からだったり、種族の長から、
はたまた親御からいただく“名”があって。
それを知られると、
相手へ生命や存在ごと牛耳られてしまうという…が。

 「…何て恐ろしい咒を知ってやがるかな、お前って。」
 「わはは、まいったか。これからは“神”と呼べ、神と。」

神罰が下るぞ、蛭魔さん。
……じゃあなくて。

 「下等な邪妖にしか効かねぇに決まっとろうが。」
 「……あ、な〜る。」

単純に自分よりも咒力や精気の劣るものや、
こちらへ引け目や怯えを覚えている気弱なもの。
そんな輩の気概の隙を衝いて、するりと盗み見るという高等な…

 「出歯亀の術だな。」
 「貴様、後で説教だかんな。」

言いつつ先に殴りつけるのが、ウチの彼らのクオリティ。
(横文字がNGならば、お約束ともいう)おいおい

 「あ、それじゃあ。」
 「そうだ。それでもって封印しちまう術なんだな。」

性懲りもなく炎を出した蛭魔ではない、
影を濃くする光を必要としたまでのこと。
そこへ浮かんだ咒字による“邪妖符”をかざすと、

 「今度こそ観念しやがれっ。」

即席なればこその、力を与える代償、対価として、
小指の節を咬んでにじませた血印で、術者の名を署名してから。
地の底から先程召喚した古い堅石へと目がけ、
ていっと張り付けるのにかかった刻が、
落砂の刻みでも何秒あったかどうか。
ヒラリと風にさえ押されるだろう、単なる一枚の薄紙のはずが。
既に念咒の力を帯びているからこそのこと、
古石の表へと難無く貼りついたので。
その弊に向け、今度こそはの意気地も込めて、
邪妖封滅、大人しく眠れと、
背条を延ばし、真摯な顔で、
封印の弊へと呼応する、
真咒を唱えていた蛭魔であったのだけれども。

  きしゅあっ、ぎゃぎゃっ、しゃあぁあ…っっ、と

断末魔の悲鳴か、それとも怨嗟か。
黒光りしてさえいた甲殻を震わせ、身をよじり、
苦しげに身もだえしていた妖異の蟲妖が

  いきなり、その身をぼろぼろぼろっと
  その場にこまごまと頽れ落とし始めて。

あれれ? 確か封印すると蛭魔は言ってなかったか?と。
葉柱もセナも、進や朽葉さえもが、
まずはの感触として、その現象へは違和感を覚えた。
咒の力が強すぎたのかな、
だがまあ、ああまで巧みに手こずらせた相手だ、
それもまた致し方なかろうと。
何足もあった節足やら、堅そうだった甲殻やらを、
次々と地へ落とす様には哀れさえ感じかかったものの、

 《 主よ、咒力を拾うてみよ。》

 「……え?」

まずは進がそんな声を出し、
それとほぼ同時に葉柱が蛭魔へと駆け寄りかかる。

 「蛭魔っ!」

正確厳密に言えば、こちらへ向けての敵意はなかったため、
だから蛭魔の集中も途切れずにいたと言えるのだが。
それでも、ただならぬ気配が滲み出していたのは間違いなくて。
何だよあとちょっとなんだから静かにしてなという、
聞けねぇなら殴るぞ蹴るぞと同意な、物騒な含みを持たせた視線を、
駆け寄らんとしていた葉柱へ差し向けようとしかかった、
そんな逼迫した間合いへと。

  ぎゅうと集まった、異様な気配が一つ。

その身をばらばらと分解させていたのは、
封印されかかっていた身を蝕む、
滅びへの予兆…なんかではなかったようで。
ぎゅぎゅうっと一点集中したそのまま、ぱんっと弾けた気配が一つ。
それがヒュヒュンッと風を切って飛び交い始める。

 「え? これって…あ、うわぁっ!」

気配を嗅いでいたセナへと向かって来た一閃があり、
だが、進が立ちはだかっての
素手の横薙ぎのみにて弾き飛ばした何物か。
地べたにめり込み甲殻部分がぱかりと割れてしまったところへ、
遅ればせながら、封印の咒弊を飛びつくように張り付けたのを除き、
他の幾つかの部位が次々に、宙を飛び交い、跳ね回り、
そのまま、何とその身を四散させてしまったではないか。

 「な…っ。」

どうやら、小物が合体していた邪妖だったらしく。
しかも、属性が違う存在同士でというのが珍しい。
居残ったのは土へ強いはずの木属性だったが、

 「こんの野郎っ!」

貴様だけは逃がすかよと、
勇んだ蛭魔、今度は光より熱を強めた紅蓮の炎の咒で取り囲み、
何とか弊の半分ほどだけ、封石に張られたまんまと出来たのだけれど、

 「蛭魔、無事か?」

思わぬ反撃にあったがための大技が、
強い炎熱を放つ代物だったそのせいで、
一帯があっと言う間に蒸気の霧に覆われてしまい。
そこはまま、能力も高い顔触ればかりが集まっていたので、
そんなものは煙幕にもならなんだものの…。
純粋に、不意を突かれての逃亡を許してしまったわけだったのだが、

 「その言い方のが余計にむかつくぞ
 「お師匠様、それどころじゃありません。」

逃がしたことも問題だったが、
もっと大きな問題があったためか、
瀬那くんの宥めようも少々堅い。

  だって、煙幕が晴れたその場へ居残っていたのは。

  さっきまでまとっていた狩衣や、
  足元をやや括って動きやすくした指貫などなどの海の中、
  キョトンとして座り込んでいた、

  随分と幼い子供の姿となっていた、
  陰陽術師の蛭魔、その人だったのだから。







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  *結構箇条書きなのになんて長いんだ、
   さすがはどかばきシーン。
   もうちょっとだけ、
   書けたところまでをおまけで上げときますねvv


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